最近、見世によく来る女衒の男はとても目立つ色をしていた。

目が痛くなるような黄緑の服と黄色のサングラス、目の下に大きく彫られた刺青・・・若い男でどことなく濁った重苦しさを感じさせる廓の空気に似合わない、軽い足取りで歩いてくる
仕入れて売った娘の様子を見に来ることが第一の目的なのだが、ついでに他の遊女とも談笑を交わす。一見楽しそうに会話をしているが話すことで見世の情勢や景気を探るのだ。
次に娘を仕入れたとき、この見世で売ったら儲かるか、儲からないか。金や見世に関して口の固い店主の代わりに遊女たちから情報を得る。
男と話す遊女たちは良い男と色目を使う者もいれば軽い男と適当にあしらう者もいる。中には『女衒』という時点で近づかない女もいた。
自分は客でもないしそれ以上、以下の気持ちも何もない。話そうと思えば何事もなく話せた。しかし男の笑ったときの鋭い歯並びを見るたびに酷く、腹の底がざわついた
黄緑色の若い女衒 どうやらお得意の鶯さんと知り合いらしい 妹分と話しているところを見ていると気がついたのか、こちらに近づいて話しかけてきた


「どうもこんばんは」

「こんばんは」

「最近どう?儲かってる?」

「そんな教えるほどでもありません」

「またまた〜売れっ妓なんでしょ?」


胸の前で左手の親指と人差し指を使って輪を作り、歯も出さず男は笑う。でも卑しさは感じられなかった。
こちらも小さく笑って余裕を見せる。こういう男にペースを乱されてはおしまいだ 身ぐるみを剥がされるように、全てが晒けられる。


「聞きたいことは、そんなお金の話ではないのでしょう?」

「あぁ、そうそう。いやあなに?ついいつものクセでね」

「なんでしょう」

「鶯、最近よくココに来てるでしょう」


出てこない名前だとは思っていなかったが、一瞬、動悸が胸に響いた。


「えぇまぁ。いらっしゃってくれますよ」

「あーやっぱり?」

「何か?」

「なんかさぁー鶯、あんたにガチ惚れしてるらしくてさ〜」

「はぁ・・・」

「そう」


響いた動悸がざわざわと身体を這う何かに変わる。悪寒なのか、熱なのか、分からない何か
感じるものとは裏腹に男は屈託の無い笑顔を浮かべながら話しを続ける


「ほんっと初心だなぁ〜って思うよ。こんな遊女、なんかにガチ惚れとかさ。」

「・・・・・」

「しかも人外だぜ?ありえないわ普通」

「・・・そうですね・・・。」


ざわつく身体に気づかれないように男の目を見る。
深く、飲み込まれてしまいそうな黒い穴、中に光る黄色の瞳、まるで黒い水をた溜めた井戸の底のような目だった。


「あんたもあいつのこと財布としか思ってないんでしょ?だったら適当にあしらってさ、どうにかしてよ」



「手練手管の恋なんかをしてると思ったらさ、放っておけないだろ?」






男と話した後他の女に悟られぬよう、早足で自分の部屋に戻った。
開いていた窓に向かって倒れるように座る。途端に呼吸が荒くなった。大きく息を吸うと夜の風が胸に入り込んでくる。
目を閉じると男の声が広く頭に反芻する。遊女、人外、手練手管の恋・・・
どれもこの遊郭にとっては常套句のような言葉だし自分も言うのには慣れているし勿論言われることにも慣れていた。寧ろ、これが自分の仕事である。客との遊びの恋、偽りの愛情・・・どれも決して間違ってはいない。自分はこの仕事でお金を貰い、飯を食べているのだから。
でも今日、いや鶯さんとのことを言われたとき、自分は平常心を保てなかった、動揺していたのだ。彼と何時も交わす事は廓のそれ以上のことではない、しかし、特別だった。彼が部屋を出て行くたびに、また来てくれることを願った。朝、彼を大門まで遅れない自分の足に何度もどかしいと思ったことか。見せ物だと思っていた足に、初めて未練を抱いた。普通の女であれば、行かないでと引き止めることができたり、挙句の果てには、彼と共にこの見世から飛び出すことができるのではないか。浮かべては無理だろうし、妹分の娘を置いていくわけにはいかないと自問自答を繰り返した。
これが恋だとは感じることはなかった。しかし、彼のことを考えることが多くなるにつれ、恋、なのではないだろうかと思った。遊びや、偽りではない、本当の気持ち。私は、彼のことが好きなのではないか。そうじんわりと、水の上に波紋が浮かぶように自覚し始めていた時だった。
あぁ、そうだ。自分は人外、人ならざるモノ・・・傍から見れば、それは遊女の恋以前に滑稽なものなのかもしれない。彼と交わる度、気持ち良さとまどろみの間で彼との子供ができたらどうなる子になるかと想像した。彼に似た赤子の足は、私と同じ魚の鰭。涙のかわりに乾いた息が吐き出た。
艶々と光る自分の鰭の鱗に爪を立てる。こんな足さえ無ければ、産まれてから何十、何百回と思った。それはいつも普通の生活を送れない腹立たしさ、無常さ、人間扱いしてもらえない悔しさからだったが今は違った。普通の恋ができない苛立たしさ、虚しさからだった。
ふと、昔の西洋の御伽噺に自分と同じ鰭を持った娘、人魚の恋の話があるのを思い出す。恋が報われず、泡になって消えてしまう人魚姫 もし人魚ではなかったら、彼女の恋は実っていたのだろうか


「一度、生まれ変わらなければいけないのですかね」


独り言を呟いて口角を上げる。笑っているつもりなのに、笑えていなかった。






「るり、お客さんだよ」

遣手の声に顔を上げる。いつの間にか眠っていたようで時計を見たら見世が開いた時間だった。
窓辺に顔をつけていたらしく、つけていた頬が赤くなっていた。泣いてもいないのに泣いているように見えた。
自分の気だるげな顔を見て、遣手の眉が吊り上がる。


「寝ていたのかい?全く気を抜いているんじゃないよ。お得意様が来たんだからしっかりしとくれよ」


遣手はそう言い散らし、障子を閉めて去っていった。
お得意様、誰だろうか。よく来るお客の顔が順番に頭に浮かぶ。あの人か、この人か、それとも・・・


「こんばんは」


低い京言葉が聞こえた。今、一番会いたくない人だった。 鶯さん


「こんばんは。」

「寝とったんどすか、ほっぺが赤おすよ」

「ちょっと、疲れてしまって」


苦笑しながら座布団を差し出すと彼はぽすんと軽く座って胡坐をかいた。
適当に言葉を交わしていると酒と肴が運ばれてきた。


「酒でも飲みまひょか」


そう言って彼はお猪口を取って自分に差し出した。私が飲まなければいけないのだろうか。とりあえず受け取って酌をしてもらう。
酌をするなんて、他の客はこんなことしないので少し新鮮だ。いつもこんな調子なのか、彼のやることは少し変わっている。
酌をしてもらって飲まないのも失礼なので少し口に含む、独特の味が喉を気持ちよく焼いた
飲みきって逆に酌をしようとすると首を振って断られる。どうしたのだろうか。酒を飲もうと言ったのはそっちなのに
空いた猪口にまた酒が入れられる。もしかして、私に飲んでほしいのだろうか。よく分からない
もう一度ぐいと酒を飲むと彼が口を開いた


「今日、宿がココに来やはったんやて?」


猪口を持つ手が少し震えた。あぁ、あの男、宿っていうのか。違う、そんなこと、思ってる場合じゃないのに


「どうして」

「あいつが勝手に言うてきたんどす」


心臓がバクバクと音を立て始める。あの男が、いつもの調子で意気揚々と今日自分に言ったことを鶯さんにペラペラ喋っていたのだと思うと、どうしようもできない気持ちで猪口を握った。割れるはずがない猪口が、今なら簡単に握り割れてしまいそうだった。お客の前で取り乱すなんて失礼だって分かっているのに、手が強く震えた。
すると、彼の手が触れて。自分の手を優しく覆った。覆った手は自分より大きく、乾いていた。


「気にしなくていい」


京言葉ではない、彼の声を聞いたのは初会以来だろうか。
そんなことを思いながら見上げると彼の顔があった。小さな二つの目が自分を見ている。


「あの馬鹿の言う事なんて、気にしなくていい」

「何を言われたんですか」

「多分君が思ってることと一緒のこと」


やっぱり。何故かもう駄目だと諦めかけたとき手が首に回ってそのまま抱き寄せられる。猪口を持ったままだったので、そのままされるがままになった。
彼の首に頬がくっつく、脈の動きと、暖かさを通り越した熱さを感じた。自分も猪口を持っている手が熱くなった。指先に熱がこもる


「君がどう思ってるかは知らないよ。遊女だし、俺のことを羽振りの良い客程度にしか思ってるかもしれない」

「そんな・・・」

「でもね、君がどんな存在でも、姿でも、俺の今思ってる気持ちは変わらないし、関係も変わらない。」


真っ直ぐな言葉が頭を突き抜けては浸透し、溶けていった。安堵感に手の震えが止まる。
人外と呼ばれ、人間扱いされることなかった自分 彼を見送ることさえできない自分の足 それを、しょうがないと悟り、達観していた自分の心
今までの自分とあの男の言葉が混ざり合い、彼の気持ちさえも疑ってしまいそうになっていた。どうせ、彼も、彼だって 鶯だって

そんな自分に、彼の言ってくれた言葉

あぁ、私と想いと、彼の想いは一緒。それで、それだけで、充分だった。


「すきだよ、るり」

「ありがとう ございます」


らしくない、感謝の言葉を漏らした







人魚姫は、恋が実らず泡になって消えた。人魚は、恋が叶わない運命なのだろうか。
前までの自分はそうなんだろうと苦笑いを浮かべて諦めていただろう。でも、今は分からないという回答が一番自分の気持ちに近い
それは彼の気持ちを確認できたから、彼の気持ちを、彼の口から聞くことができたから。


あなたの言葉で、わたしは安心できる。あなたの言葉で、わたしは、呼吸することができる。


「また来てください、鶯さん」


帰ってしまった彼を、窓辺から見て思う











引き上げられた人魚姫の行方




inserted by FC2 system